「丁寧な暮らし」の正体を考えてみる――今ここに「自主創造」の旗を立てる

気がついたら、朝起きてから寝るまでずっと「誰かの予定」に追い回されていて、自分のための時間はほとんど残っていない――そんな感覚を抱えていないだろうか。

「丁寧な暮らし」と聞くと、まず浮かぶのは衣食住をきちんと整えた生活だと思った。
お気に入りの器でご飯を食べて、整えられた部屋で、季節の変化を感じながら暮らす。
そういうイメージは確かに魅力的だ。

けれど現実の毎日は、家事と育児と仕事に追われて、自分の時間なんてほとんど残らない。
「丁寧」に近づこうとしているどころか、ただ今日を乗り切ることで精一杯。
そんな感覚を抱えている人は、かなり多いはずだ。

忙しさの理由は「社会構造」と「自分の選択」のあいだにある

なぜこんなに余白のない生活になってしまうのか。
理由をたどっていくと、かなりの部分は「社会構造」にぶつかる。

長時間労働が当たり前の職場、保育や介護を家族に任せきりにする前提の制度、
フルタイムで働くことを前提に設計された社会保障。

個人の力ではどうにもならない部分は確かにある。
それに対してできることは、選挙に行く、声をあげる、政策に関心を向ける…
一見ささやかに見えることくらいかもしれない。

でも、「全部社会のせい」と言ってしまうと、その瞬間に自分のハンドルも手放してしまう。
社会構造とは別に、「自分で選んで今の生活になっている部分」が、必ずどこかにあるはずだ。

ある平日のタイムラインを分解してみる

たとえば、よくある平日をざっくり分解してみる。

  • 6:00 起床、朝食の準備、子どもを起こす
  • 7:30 保育園・学校へ送り出す準備、家を出る
  • 8:30〜18:00 仕事(通勤時間込み)
  • 19:00 帰宅、夕食の準備、片づけ
  • 21:00 子どもをお風呂・寝かしつけ
  • 22:00 残った家事、明日の準備
  • 23:00 ようやく自分の時間…のはずが、スマホを眺めているうちに日付が変わる

こうして眺めると、「自分の意思で決めた時間」と言えるのは、いったいどこだろう。

職場の就業時間や、保育園の送迎時間は、ほぼ固定されている。
でも、
・どれくらい残業するか
・仕事の後に何を入れるか
・家事をどこまで一人で抱え込むか
・寝る前にスマホを開くか、本を開くか

といった細部には、実は「選択の余地」が紛れ込んでいる。

もちろん、全部を理想通りにはできない。
それでも、「どこまでが本当に動かせない前提で、どこからが自分の選択なのか」を切り分けていくことはできる。

仕事はどこまで「自分で選んだ」と言えるのか

その代表が「仕事」だ。

ベーシックインカムのように、生活費が自動的に保障される社会があったなら、
人は今の仕事を続けるだろうか。
もっと好きなことに時間を使うだろうか。
そもそも「好きなことで生きる」なんて、そんなにきれいにいくのか。

現実には、生活のために働く人がほとんどだ。
忙しい仕事の対価として、それなりの給料をもらい、
その代わりに自分の自由時間は削られていく。

この構造は、本当に変えられない「前提」なのだろうか。

・給料は少し下がるけれど、時間の自由度が増える働き方
・正社員という枠にこだわらない働き方
・副業や小さな事業で「時間と収入の源泉」を分散する生き方

選択肢は、最初からゼロだったわけではない。
選ばなかったか、見えていなかったか、見ないことにしていたか、そのどれかだ。

「誰かの都合の良い人生」を生きていないか

気づくと、私たちは「人や社会に言われるまま」に生きてしまう。

・「これくらい稼いで一人前」
・「この年齢ならこういうキャリアパス」
・「親なんだから、これくらい我慢して当然」

はっきり命令されることは少ないけれど、
雰囲気や常識や空気のかたちで、価値観がじわじわ染み込んでくる。

その流れにただ乗っていると、
自分の希望や夢といった「自己実現」が、少しずつ後ろに押しやられていく。
気づいたときには、「どっかの誰かの都合の良い人生」を代わりに生きている――
そんな危うさがある。

丁寧さとは、モノだけではなく「選び方」にも宿る

では、「丁寧な暮らし」とは何だろう。

本質は「自分で選び取っているかどうか」にあるのではないか。

・なぜこの働き方を選んでいるのか
・なぜこの住まい方をしているのか
・なぜこのお金の使い方をしているのか
・なぜこの時間の使い方をしているのか

その「なぜ」に、自分なりの答えを持とうとすること。
答えが完璧でなくても、揺らいでいてもかまわない。
ただ、「自分で決めた」と言える部分を、一つずつ増やしていくこと。

それが、忙しい現代の中でできる「丁寧さ」なのだと思う。

今ここに、「自主創造」の旗を掲げる

社会構造は、個人の力だけではすぐには変わらない。
それでも、自分の人生の設計図を、他人任せにしないことはできる。

・「しょうがない」と思っていた前提を一つ疑ってみる
・一気に変えなくても、時間配分や働き方を数%だけずらしてみる
・「本当はこう生きたい」を、心の中だけでなく、紙に一行書いてみる

そんな小さな一歩の積み重ねが、
「誰かに与えられた人生」から「自分で創る人生」へのシフトになる。

丁寧な暮らしは、完璧な部屋でも、理想的な一日のルーティンでもなく、
自分の人生を、自分の頭で考え、自分の手で組み立て直そうとする、その態度から始まる。

今ここに、「自主創造」の旗を掲げよう。
それは派手な革命ではないけれど、
自分の時間と希望を取り戻す、静かな反乱の合図になる。

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